「なぜ生きるか」の問いに、「生きるために生きる」は意味不明

“人生の目的は生きること”という主張を検証してみましょう。

 これを「忍耐して、生きつづけることが大切だ」と解釈すれば、
「そう、何ごとも辛抱が肝心。大事なのは生きること」
「一度きりの人生だから、生きることにこそ価値がある」と共感する人も、少なくないでしょう。

「人生に意味なんてあるのだろうか」と元気のない人でも、「生きている、それだけで人生には意味があるのだよ」と聞けば、慰められるのかもしれません。

 しかし、「苦しいのに、なぜ生きねばならぬのか」と悩んでいる人は、「生きることが人生の目的」と言われても、失望するだけではないでしょうか。
 答えになっていないからです。なぜ答えにならないのか。

 たとえば「なぜジョギングするの?」とたずねて、「体力をつけるため」と言われれば、誰でもわかりますが、
「ジョギングするためにジョギングしている」と答えられたら意味不明です。

「なぜ塾通いをするか」に「大学に合格するため」なら納得できても、「塾に通うために塾に通う」では、ナンセンスというほかないでしょう。

「なぜ生きるか」の問題に、「生きるために生きる」の解答は、言葉の意味からいってもおかしいのです。
(『なぜ生きる』p.48-49 著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)

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