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ここ数日、グッと冷え込む日が増えてきましたね。

本格的な冬の足音が、聞こえてくるようです。

さて、秋の深まってきたこの季節、なんとなく淋しさが募り、心にぽっかり穴が空いた感じがする、という人が多くいます。

この淋しさは、一体どこからきているのでしょうか?

今回は、「秋の淋しさ」の原因について、考えてみたいと思います。

春~夏は、「出会い」の季節

 

一説によると、秋になると、日が出ている時間が変化し、気温も下がることが、原因だと言われています。

春から夏にかけては、日差しが強く、花粉も多く、気温も上がっていく季節です。

体が受ける刺激が多い時期といえるでしょう。

また、この季節は、体だけでなく、心も、たくさんの刺激を受けます。

多くの人にとって、春から夏は新生活が始まり、新しい環境に慣れていく季節でもあります。

そのため、淋しさや孤独感を感じる機会が、なかなか無いようです。

 

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秋~冬は「喪失」の季節

 

一方で、秋から冬にかけては、どうでしょう。

夏のピークが終わり、だんだんと日差しが和らぐと、涼しい秋の気配を感じるようになります。

秋から冬にかけては、日照時間が短いため、暗く、気温の低い時間帯が増えてきます。

青々と茂っていた植物も、次第に葉を落とし、何かを失っていく感覚が強くなるのが、この時期です。

イベントの多い春から夏に比べて、室内で過ごす時間も増え、環境にも慣れてきます。

春から夏に比べると、心身ともに刺激が少なくなり、落ち着いて過ごせる季節でもあります。

すると、その刺激の少なくなった分が、「心の余白」として感じられ、言いようのない淋しさや喪失感を感じやすくなるそうです。

 

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今までの楽しさ、賑やかさ、忙しさが、幻想のように感じてしまう。

秋になると、私達は、そんな心の余白を埋めようと、何かに挑戦したり、旅行を楽しんだりします。

「食欲の秋」「芸術の秋」「スポーツの秋」と様々な取り組みが推奨されるのも、何かをしてごまかさずにおれない、淋しさを実感する人が増えるからでしょう。

淋しさをじっくりと味わう秋に

 

しかし、おいしい食べ物やきれいな景色、芸術やスポーツで、本当にこの淋しさを埋めることができるでしょうか。

暖かい季節には、新しい環境や日差しのまぶしさにごまかされて感じなかった孤独が、少しずつ表面に出てくるのが、この季節です。

表面に出ていなくても、外からの刺激が途切れた瞬間、寂しさを感じるということは、心の奥底には、つねに淋しさがあるということです。

本来、私達の心はいつも、孤独を抱えて生きているのかもしれません。

秋の淋しさは、単に刺激が減るから感じる、一時の感情ではなく、もっと深いところにある問題に気付くためのサインでもあります。

せっかくの秋、淋しさに背を向けてごまかすだけが、解決策ではありません。

この孤独はどこからくるのか、本当の原因を見つめ、じっくりと心の余白を味わう時としたいものです。

たちまち6万部突破! 新刊『人生の目的』

 

ぼうぼうと草の茂った、果てしない広野を、独りトボトボと歩いてゆく旅人がいた。
季節は木枯がらしの吹く淋しい夕暮れだった

———こんな場面から始まる有名な譬え話があります。

ロシアの文豪・トルストイも驚嘆した「ブッダの寓話」を解説した新刊『人生の目的』は、発売から3ヶ月あまりで、早くも6万部を突破しました。

「私の孤独を分かってくれた」「自分だけじゃなかったんだ」と、共感の声が続々と届いています。

息子夫婦と住んでいますが、私の部屋は無人島です。
この本には、「一緒にいても相手にされない、独りぼっちの淋しさは耐えがたい」と書かれていました。よくわかります。
やっと自分を理解してくれる人に出会えたような喜びがわいてきました。

(東京都・85歳・男性)

「心は常に独りぼっちで、淋しいのだ」と自分のことを言い当てられ、思わず涙が出て来ました。

(大阪府・26歳・女性)

淋しさを感じる秋の夜長、自分の心を見つめるひと時に、ぜひ、手に取ってみてはいかがでしょうか。

『人生の目的』の詳しい情報は、コチラからどうぞ!