苦手な事に対して、子どもが
「あの人は才能があるから出来るんだ。自分はもともとの才能がないのだから、出来なくて当然」と、最初からあきらめてしまうことはないでしょうか。
しかし「努力は裏切らない」と言われるように、継続した努力は必ず実を結びます。
コツコツ努力を継続することの大切さ、子どもへの伝え方を仏教の観点から学びましょう。
![]() 真理子
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中2の娘と小4の息子を持つワーキングマザー。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」に参加しはじめる。 |
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![]() 智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。 |
![]() 塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。 |
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息子が今度学期末に漢字テストがあるみたいなんですよね。
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あら、そうなの。うちの子もテストって言ってたかしら。
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先生からコツコツ勉強するよう言われたみたいなんですけど、「僕、漢字は苦手だから、いくら頑張っても覚えられない!」って、息子が言ってきたんですよ。
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息子さん、漢字がよっぽど苦手なのね。
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しかも「お母さんが頭のいい子に産んでくれたら、こんな苦労しなかったのに~」なんて言われて…。冗談だとは思うんですけど、さすがに悲しくなってしまいました。
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うちの息子も同じもんよ。子供のときこそ努力の大切さをしっかりと伝えたいわね。才能と努力について、仏教ではどのように教えられるのか、塾長に聞いてみましょう。
才能で結果は決まる?努力なんて無駄…はホント?
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才能と努力について、仏教の観点からお話ししますね。
智美さんのお子さんの「僕は頭が悪いから、いくら頑張っても覚えられない」という気持ちもよくわかります。
子どもにかぎらず、おとなも、自分よりデキる人を見ると「あの人には才能があるから。生まれながら、すごい能力を持っているんだ。その点、私は平凡で、あの人みたいにはなれない…」と卑屈になることもあるでしょう。
確かに人はそれぞれ、持って生まれたものは異なりますね。
勉強でも、1冊本を読んで、ほとんどすべての内容が頭に入ってしまう人もあれば、1つのことを覚えるだけでもかなり時間がかかる人もあります。
では、デキる人は皆、元々才能のある人であり、努力をせずに成功しているのでしょうか。
成功するかは努力次第~みんな陰で努力をしている~
成功について考えさせられる、こんな話があります。
ある人が、十月の始めごろ、旅に出て東の国を通った。
涼しい風が、そよそよと稲の穂を渡り、よく実って、見渡すかぎりの黄金の波である。
そばには農夫が、ニコニコ顔で、たばこをすいながら、のんきに仕事をしていた。
その後その人は、またその国を通った。
すると黄金の波は米俵と変わって、家々の軒下に山と積まれている。
どの家からも、楽しそうな談笑が聞こえてくる。
旅人は、これをみて、
「東の国は極楽だ。苦労もしないで、あんなにたくさんの収穫があるのだ」
と、うらやましがった。
これを聞いた隣の人は、
「そんな国なら、一度いってみたいものだ」
と、五月の始めごろ、東の国へと旅に出た。
東の国へ入ると、みんな泥だらけになって、汗水流して、一生懸命に働いている。
意外に思いながら、ついでの旅の用事をすませて六月の終わりごろ、東の国を通ると、頭から焼けつくような日に照らされ、滝のように汗をだくだく流し、それでも一生懸命に働いていたが、いっこうに黄金の波も、山と積まれた米俵も見られなかった。
「隣の人にだまされた。東の国は極楽どころか苦労為損の地獄だ。ばかばかしい」
プンプン怒りながらその人は帰ってきたという。
成功の裏に涙あり。
まかぬ種は生えぬ。因果の大道理を知らぬ者はあわれである。
高森顕徹著(2010).『新装版 光に向かって100の花束』より引用
苦労もしないでたくさんの収穫が得られるはずがありません。たくさんの収穫が得られたということは、たとえ表面的には見えなくても、結果に応じた苦労があったということです。
「天才」と呼ばれる人でも、必ずその裏には涙ぐましい苦労があります。
かの有名な発明家・エジソンの「天才とは、1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力である」という言葉は有名ですね。
幼いころ、勉強についていけず、小学校を三カ月で退学したエジソンでしたが、努力に努力を重ねた結果、後世に残る発明ができたのです。
どんな「天才」といわれるような人でも、血のにじむような努力をし、結果を残している。楽をして成功している人は、1人もいないことが分かります。
そんなこと当たり前だ、と思われるかもしれませんが、他人の成功に対して、ついつい私たちは相手に生まれ持った才能があると思いがちです。
ドイツの哲学者・ニーチェは「成功」についてこう語っています。
あまりに完璧なものを見たとき、我々は、どうしたらあんなふうになれるのかとは考えない。
その代わりに魔法によって目の前で奇跡が起こったかのごとく熱狂してしまう。
なぜ才能に目を向けてしまうのか、成功を魔法のようにさえ思ってしまうかというと、そうすれば自分を省みる必要がなくなるからでしょう。
あの人はあんなに努力をしているのに、自分はやっていない。そんな自分を見つめたくないからだと思います。
しかしどんなに苦手なことでも、生まれ持ったものに関係なく、コツコツ努力すれば必ず結果はついてきます。
努力はある時を境にパッと花開く
ただ、そうは言うものの、私たちの心は弱いもので、結果が出ないと「やっぱりダメなんだ…」と努力をやめてしまいがちです。
そんな心とどう向き合っていけばいいのでしょうか。
『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』には、こう書かれています。
私たちの悩みの一つに、「なかなか努力が続かない」ということがあります。
頑張ろうと取り組んでも、すぐに目に見える結果が出てこないと、「やってもダメだ」と心がなえてきて、投げ出してしまいます。
でも、努力や学習の成果というものは、じわじわ効果が出てくるというよりも、ある時を境にパッと花開く傾向があるのです。だから、最初は結果が出なくてもコツコツ続けていくことが大事なのです。
子供の頃、私は鉄棒の逆上がりができず、いつも独り練習していましたが、ある日突然、できるようになりました。
自転車に乗るのもそうです。最初は、フラフラしてすぐ転んで膝をすりむいてしまいます。
ところが、ある時突然、スイーッと乗れるようになりました。
こんな経験は誰にでもありますね。これが練習や努力と、その成果の関係なのです。
頑張っても上達しなかったり、うまくいかなかったりすると、投げ出したくなります。でもその時、あなたはゴールの直前にいるのかもしれません。
ゴール直前であきらめて引き返すとしたら、それはもったいないですよね。
岡本一志著(2012).『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』より引用
努力した結果は遅かれ早かれ、必ず努力した人に現れます。
なかなか結果が返ってこないときは「定期預金」をしていると思えばいい、とも『幸せのタネ』にかかれてあります。
貯金をたくさんして、手元に戻るのに時間がかかるほど多めに利子がついて戻ってくるように、努力を続けていれば、あるときドッと良い結果が返ってくるものなのですね。
親が子供にとっての「努力の手本」になる
「成功している人はみな努力をしているのであり、何かを何し遂げるには不断の努力が必要」
当たり前のことですが、だからこそ常にコツコツ努力を続ける大切さを、子供にも伝えていきたいものです。
また子供に伝えるときに大事なのが、親自身が粘り強く課題に取り組んでいるかどうか、ということです。
世界トップクラスのスポーツ選手や芸術家の、ほぼ誰もが、その親自身が子供にとっての努力の手本となっていたそうです。
私たち自身が前向きに努力をしている姿を見せ、子供に努力の大切さを示していきたいですね。
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とても勉強になりました。確かに私自身も、自分のできていないところを見たくなくて、「才能」という言葉で片付けてしまっていたと反省しました。定期預金をしていると思って仕事も育児もがんばっていきたいです。
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私も子供がいる前で「どうせ」とか「やっぱり無理」とか言ってなかったか、反省させられたわ。「子供にとっての努力の手本」に少しでも近づいていこうと思います!
まとめ
- 「あの人は生まれ持った才能が違うな」と思うような人でも、陰では大変な努力を積み重ねています。楽をして成功している人は1人もいません
- 生まれ持ったものに関係なく、苦手なことでもコツコツ努力していけば、必ず結果は現れます
- 結果はある時パッと現れるもの。結果がなかなか現れない時は「貯金」をしていると思えばいいのです