自慢話ばかりをされてウンザリしてしまったことはないでしょうか?
他人の自慢話は聞いていて気持ちのいいものではありませんね。
そもそもなぜ人は自慢話をしたがるのか、
また自慢話をする人にどう対処すればいいのか。
「慢」をキーワードに、仏教の観点から学んでみましょう。
登場人物
![]() 真理子
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2人の子どもを持つ、会社勤めの主婦。快活な性格。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」に通い、仏教を勉強中。 |
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![]() 智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。 |
![]() 塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。 |
すこし暗めの表情を浮かべながら、真理子に話しかける智美。
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真理子さん、こんにちは。唐突なんですけど、ちょっと聞いてくれますか。
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なになに?おいしいケーキの情報?
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いえ、それだったらいいんですけど。ちょっとママ友との関係に悩んでいて。ママ友の1人が会うたびに自慢ばかりしてくるんです。子供に最新モデルのブランド服を買ってあげたとか、連休は香港に旅行に行ったとか。そのたびにイヤな気持ちになっちゃうんです。
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いるよね~。自慢ばかりする人。「あなたたちはどうせできないでしょ」と思われている気がして、イヤになるわよね。
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そうなんです!ただ、その人はママ友の中心にいるから、離れたくても離れられなくて。どうすればいいんでしょうか。
自慢話をするのは「慢」の心があるから
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自慢話について、仏教の観点からお話ししますね。
智美さんの言う通り、1度や2度くらいならガマンもできますが、いつも自慢話ばかりされると、確かにツライですね。
そもそもどうして自慢話ばかりをしてしまうかというと、「自慢をして、羨望の目で見られたい」という心が私たちにあるからなんですね。
仏教では、そういう自慢したい心のことを「慢(まん)」と教えられています。「うぬぼれ」とも言い、漢字では「自惚れ」と書きます。
自分に惚れてしまっている、自分のことは何でも良いように見てしまう心のことです。
私たちは自分の能力や立場、収入、身に付けている物など何でも相手と比べて、上に立ちたい気持ちがあります。
相手よりも上だと喜べますが、下だとみじめな気持ちになったり、悔しい気持ちになったりするので、なんとか上に立とうとするのですね。
「どう?わたしのほうが上でしょう」と優越感に浸りたくなるのが「慢」という心です。
「慢」は失敗を引き起こす恐ろしい心
この自惚れ心というのは、大変恐ろしい心で、多くの人がこの「慢」のために取り返しのつかないミスをしたり、言ってはならない失言をして酷い目にあったりしています
有名なイソップ寓話に、「慢」についてのこんな話があります。
一匹の蚊が、ライオンに挑戦状をたたきつけた。
「俺は、おまえなんか怖くないぞ。おまえのほうが弱いからさ。ウソだと思うなら、勝負してみよ」
ラッパを合図に、蚊は、ライオンの顔を攻めた。鼻先には毛がない。その軟らかい所を刺しまくったから、たまらない。ライオンは、爪で自分の顔をかきむしり、傷だらけになって、降参した。
蚊は、勝利の凱歌をあげて、意気揚々と引き揚げていく。ところが、有頂天になって気が緩んだのか、クモの巣に引っかかってしまった。
身動きができなくなった蚊は、
「いちばん強い者を破った俺が、クモなんかの餌食になるとは……」
と悔しがるのであった。
「調子のいい時が、いちばん危ない。油断せずに気を引き締めよ」と教えた話である。
やはり、人間にとって、いちばん恐ろしいのは、慢心、うぬぼれ心である。
成功したり、希望がかなったりすると、うれしさのあまり、つい気が緩む。その心のスキが、時によっては、致命的な失敗を招いたりする。
日本でも、古来、「勝って兜の緒を締めよ」と戒められてきた。
木村耕一著(2014).『新装版 こころの朝』より引用
車の運転も、慣れてきたときがいちばん危ない、といわれます。
日々、ニュースで流れている事件の大部分はこの慢心からきていると言っても過言ではないでしょう。慢心がちょっとした手抜きを誘い、それが取り返しのつかない事故を引き起こします。
「これぐらい大丈夫だろう」という思いが命取りになるのですね。
「慢」はすべての人に共通している心
この「慢」の心について仏教では詳しく分けて教えられています。
「自分のほうが上なんだ」と思う心を、お釈迦さまは「慢」「過慢」「慢過慢」の三つに分けて教えられています。
まず「慢」とは、自分よりも劣った人を見た時、相手を見下す心のことです。
女性なら、周りの女性の持ち物やファッションを見て、「私のほうがかわいい」とか「私のほうがおしゃれ」と思ったりすることです。
男性なら、年収や会社の名前、肩書き、仕事ができるかできないかといったところで、「俺のほうが上だ」「こんなこともできないのか」と相手を見下すことです。
(中略)
次に「過慢」とは、同じレベルの相手に対して、自分のほうが優れていると威張る心のことです。
例えば、テストの成績で相手が七十点、自分も七十点で同じとすると、「相手は親が金持ちで家庭教師がついている。でも、私は塾にも行かずに独りで勉強している。条件が同じなら、本当は私のほうが成績は上だったのに」と思うような心です。
その次の「慢過慢」とは、自分より優れている相手に対して、素直にその事実を認められず、相手の欠点を探して、「私のほうが上だ」と思う心のことです。
例えば、テストで相手は九十点、自分は八十点だった時、「相手は勉強が少しできるかもしれないけど、スポーツはまるでダメだね。その点、私は両方できる」と自分に都合のよい理由をひっぱり出して、相手の上に立とうとする心です。
岡本一志著(2012).『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』より引用
慢心といっても、ほんとにいろいろな自惚れ心があるのですね。どんな状況にあっても自惚れようとしているのが人間だと知らされますね。
この「慢」の心は一部の人だけではなく、すべての人にある心だと仏教ではいわれています。
誰かと接するときにこういう心があると相手を傷つけたり、不愉快な気持ちを与えるので、よーく気をつけていきたいですね。
自慢をしてくる人にうまく対応するには
もし自慢をしてくる人に対して悩みを抱えている方は、その人を『私の姿を映す鏡』と思われるといいでしょう。
「自慢話をするこの人の姿は私の姿だ。私は上から目線の言動を取っていなかっただろうか?」と振り返る機会となります。
また、自慢をされたからといって、ミジメな思いをされる必要もまったくありません。ミジメさを顔に浮かべると、相手はますます調子に乗って自慢話を続けてくるでしょう。
相手はあなたの悔しい表情が見たいのです。
そんなときは相手は相手、自分は自分と線引きをして、「いや~、すごいですね。後学にさせてもらいます」ぐらいの気持ちで話を聞かれるといいでしょう。
気持ちを軽くすると、相手の自慢話も面白おかしく聞けるかもしれませんね。
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塾長の話を聞いて、自慢してくるママ友だけじゃなくて自分にもそういう気持ちがあるなって気づかされました。気づかないところで周りの人を見下した言動や上から目線になって、嫌な思いをさせていたかもしれないですね。
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人のことはよくわかっても、自分のことはなかなかわからないのよね。人の言動から自分の行動を反省していくようにしたいって思ったわ。ありがとうございました!
まとめ
- そもそも自慢話をしたくなるのは、私たちに「どう?わたしのほうが上でしょう」と優越感に浸りたい心があるからです。これを仏教では「慢」といいます
- 慢心は恐ろしい心で、取り返しのつかないミスや失言を招きます
- 「慢」の心はすべての人にあります。慢心が出ると相手に不愉快な気持ちを与えるので、よく気をつけていきたいです
- 自慢をする人は「私の姿を映す鏡」と思い、自分の言動を振り返る機会としましょう。また自慢話にはミジメになる必要はなく、線引きし、気持ちを軽くして聞くのがよいでしょう