なぜ親に感謝しなければならないのか。感謝の押し売りではなく、子供の「恩」を感じる心を育てるにはどうすればいいのでしょうか。
流行中の「二分の一成人式」を通して、仏教で懇ろに教えられる「恩」について紹介します。
登場人物
![]() 真理子
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2人の子どもを持つ、会社勤めの主婦。快活な性格。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」で仏教を勉強中。 |
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![]() 智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。 |
![]() 塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。 |
カフェいろはで、いつものように紅茶とケーキを楽しみながら話をしている智美と真理子。
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この間、「二分の一成人式」で長男に宿題が出たんです。親に感謝の手紙を書きましょう、って。でも「僕、なに書いていいかわかんない」って言うんですよ。「お母さんに感謝することたくさんあるでしょ?」って私から言うのも押しつけみたいで…。
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うちも同じ。「毎日ご飯作ってくれてありがとう」っていう内容だったんだけど、書くのに時間かかったみたいで、先生も困ってたそうね〜。
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ニュースで見たんですけど、書き直しをさせる先生もいるみたいですよ。「そんな手紙じゃ、お母さんが喜ばないでしょ」て言われるそうです。そんなことまでされても嬉しくないですよね…。
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「恩」を感じて、自然と感謝が言える子どもになってほしいわよね。そんな子に育つにはどうすればいいのかしら?
「感謝の気持ちが足りない」と書き直し?物議を醸した「二分の一成人式」
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今日は「恩」についての仏教のお話しをしますね。
近年、各地の小学校や地域で定着しつつあるのが、10歳になったことを祝う「二分の一成人式」です。
子供が親への感謝をつづった手紙や将来の夢を発表するのが主流になり、流行しています。
「ベネッセ教育情報サイト」が2012年に「二分の一成人式をしたことがある子を持つ保護者」を対象に実施したインターネット調査では、「とても満足」「まあ満足」が合わせて約9割に上ったそうです。
しかし中には、「面倒な行事だった」「全然覚えてない」と言っている子供もいるそうです。
さらに「感謝の気持ちが足りない」と書き直しを指導する教師もいるようで、「親や教師の自己満足なのでは?」という声も聞こえています。
感謝を伝える機会となる「二分の一成人式」は良いものにもなり得ますが、できれば、周囲の人たちに感謝の言葉を自然と口にできる子に育てたいですね。
感謝をするには「恩」を知り、感じることが大切です。仏教では「恩」ということが懇ろに教えられています。
「恩」とは“原因を知る心”
「人という字は、お互い支え合ってヒトとなる」
学園ドラマ「3年B組 金八先生」の名言ですね。
私達は決して、1人で生きていくことはできません。
そもそも両親がいなければ、ここまで育つことはできませんでした。
両親だけでなく、友達や先生、近所のおじさんやおばさん、お米や野菜を育ててくれる農家の人など、多くの人のおかげで今の私があるのです。
今の私があるのは誰のおかげなのか。それを知る心を仏教で「恩」といいます。
ベストセラー『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』にはこう書かれています。
「恩」という字は、「因」と「心」からできています。言い換えれば、原因を知る心が「恩」なのです。
つまり、今の自分が生きているのは、さまざまな人や物のおかげを受けている。それを知るのが恩なのです。
感謝ができないのは、そもそも自分が受けている「おかげ」を知らないからです。
自分がいろいろな人や物に支えられていることを知れば、「ありがたいな」「うれしいな」という感謝の心がわいてきます。
岡本一志著(2012).『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』 より引用
仏教では、この「恩」を知り、心から感謝の言葉を述べることが相手に喜ばれ、自分も幸せになる善と教えられています。
恩を知らないものは畜生に劣る
「恩」を感じて、感謝を伝えている人が素晴らしいといわれる一方、
恩を知らざるものは畜生よりも甚だし
と、「おかげ」を忘れ、してもらうことも当たり前に受け流す人は「動物よりもお粗末だ」と厳しく言われています。
実際に、こんな話があります。
豊前の農夫が畑仕事をしていると、ふと小さな卵を見つけて思った。
「このままにしておけば、犬に食われるか鳥にさらわれるだろう。家へ帰って孵化してみよう」
昼は日光にあて、夜は抱いて肌で温めた。
ところがやがて、小さな蛇が生まれてきた。
「蛇は執念深いものとして嫌われるが、真心もって養ってやれば、心が通じないはずはなかろう」と、農夫は育てる決心をする。
巣を作ったり軟らかい餌に気を配ったり、至れり尽くせりの世話をした。
蛇は次第に成長し、ほぼ言葉も理解し、言うとおりに行動する。そのうち主人の足音をいち早く聞き分けて、玄関に出迎えるまでになった。
ある晩、農夫が他家でご馳走になり、ひどく酩酊して帰還した。玄関に入ろうとすると、チカッ!と何か足に触ったと同時に火のような痛みが走った。見れば例の蛇である。
「この恩知らず奴。卵の時から育ててやったのに……、オレにかみつくとは何事だ」
農夫は激怒したが、やがて静かにつぶやく。
「よくよく考えてみれば、どうやら悪いのはオレのほうらしい。
おまえは何時ものように迎えに出てくれたのに、酒のためとはいえ、おまえのことを忘れてイヤというほど踏みつけてしまった。
おまえは痛さに驚いて踏んだ足に思いっきり噛みついた。当然だ。許してくれ」
と言いながら農夫は、傷口の手当てをして床についた。
翌朝、いつものように蛇の巣に行ってみると姿が見当たらない。
よくよく捜すと昨夜主人に噛みついた所へ行って、我と我が身にかみついて自害していたという。
高森顕徹著(2014)『新装版 光に向かって123のこころのタネ』より引用
蛇であっても、主人に育ててもらった「恩」を感じ、過ちを悔いて自害をしたのです。
まして人間の私たちはさまざまな人に生かされていることを忘れずに、感謝の心を持ちたいです。
周りに助けてもらっていることを機会のあるごとにお子さんに伝えていくことで、子供に恩を知り、感謝する心が育まれていくでしょう。
針が正しく進まねば糸は曲がる
いろいろな人のおかげで生かされていることを伝えるとともに、親ご自身が普段から家族や周りの方への感謝の言葉を口にしていくのも大切です。
ご主人に「遅くまでお仕事してくれてありがとう」、奥さんに「いつもおいしい料理をつくってくれてありがとう」と伝えれば相手も喜び、それを見ている子供も「恩」を感じていくようになるでしょう(もちろん、打算的にではなく、心をこめて感謝を伝えるのが大事ですね)。
反対に、「私はこんなにがんばっているのに、誰もお礼を言ってくれない」と、家族や周囲への不平不満を言ってばかりだったり、「誰のおかげで大きくなれたと思っているの」と恩着せがましく接したりしていては、子供は反抗して、感謝を自ら口にはするようにはならないと思います。
こんな教訓的な話があります。
七、八歳のかわいい娘を連れた婦人が、電車に乗ってきた。
前の奥さんが、子供にきいている。
「かわいい嬢ちゃんですこと。おいくつになるの」
「お母ちゃん。家のときの歳を言おうか、電車に乗ったときの歳を言おうか」
ときかれて、赤面した母親をみたことがある。
わずかな乗車賃を惜しんでウソを教え、無垢な魂に傷をつけてはいないだろうか。
横にはっている親ガニが、まっすぐ歩めと子ガニに言っても詮ないこと。
針が正しく進まねば、糸の曲がるのは当然であろう。
高森顕徹著(2010).『新装版 光に向かって100の花束』より引用
これは正直を貫く大切さを教えた話ですが、感謝する姿勢についても同じことが言えると思います。
ついつい自分のことは棚に上げてしまい、パートナーにも子供にも感謝を求めてしまいがちですが、正しい道を進む針となって、子供を善導していきたいですね。
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「恩」って、今の私があるのは、誰のおかげなのかを知る心のことだったのね。
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私自身、旦那も子供も何もしてくれない!って嘆いてばかりで、周りの人への感謝の気持ちを忘れていました。これでは、子供に示しがつかないですよね…。「恩」を感じて、夫にも子供にも感謝を口に出していこうと思います。
まとめ
- 「恩」とは“原因を知る心”と書きます。「恩」を知ることで感謝の気持ちが起きてきます
- 仏教では「恩」ということが懇ろに教えられ、恩に報いる人は素晴らしく、反対に恩を当たり前に受け流す人は動物よりお粗末だといわれています
- いろいろな人に生かされていることを子供に伝えるともに、親自身が周囲の人に感謝を伝え、子供の見本になることが大事です