登場人物
![]() 真理子
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2人の子どもを持つ、会社勤めの主婦。快活な性格。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」で仏教を勉強中。 |
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![]() 智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。
今日は夫婦関係で何やら悩みが…。 |
![]() 塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。 |
「カフェいろは」にて、お茶をしていた真理子と智美。雑談が一区切りつくと、智美は苦笑いを浮かべながら真理子に話しかける。
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…真理子さん、最近ご主人とうまくいってますか?
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智美さん、なあにどうしたの、急に?(笑)
…まあ、ケンカばかりしてるけど、それなりにうまくはいってるのかなあ。
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そうなんですね。私は最近モヤモヤが続いてて……。
結婚した当初は、一緒にいられるだけで楽しかったんですけど、今はいろいろなところが目についてしまって…。
家事も子育ても、ほとんど手伝ってくれないし、それどころか、靴下は脱ぎっぱなし。まるで大きな子供がもう一人いるみたいで、イライラしてしまうんです。「あ~、私が結婚したのってこんな人だったっけ?」って、ふと思っちゃうんですよね……。 -
そうね、それでいうと同じようなことを思っちゃう時は私もあるかな(笑)。夫婦であれば誰しもあることよね。夫婦仲について、塾長にアドバイスをもらいましょうよ。
一緒にいるのが当たり前に?人間は「慣れ」てしまう動物
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夫婦関係について、仏教の観点からお話ししますね。
「この人しかいない!」と思って結婚したのに、しばらく経つと相手の嫌なところばかりが目についてしまって、一緒にいることが苦しくなってくる、ということはあるのではないでしょうか?。
そんな状態が長く続き、末期になると「あの人の顔も見たくない。あの人の吐いた息も吸いたくない」と、同じ部屋にいることさえ嫌になる人もあるようです。
「主人在宅ストレス症候群」なんていう病名さえあるほどです。夫が定年し、一日中家にいると妻のストレスがたまり発症してしまうそうです。
最近は夫の定年後のみならず、20代や30代の女性が発症してしまうことも。
昔は一緒にいるだけで楽しくてウキウキしていたのに、なぜこのようになってしまうのでしょうか。
人間関係のさまざまな悩みに答えられている、『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』には以下のように書かれています。
一言でいえば、「慣れ」のせいです。
一緒に過ごす回数や時間が長くなると、相手は完全に自分のものになったと思い込みます。
相手が一緒にいるのが当たり前で、自分の元から離れていくことなんてないだろうと安心して、相手に対して気を遣わなくなるのです。
相手の前でつまらなそうにしたり、身だしなみに無頓着になったり、相手に不満をぶつけたりするようになる。
そして、出会った時のトキメキや新鮮さがなくなって、そのまま破局を迎えることも少なくありません。
岡本一志著(2012)『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』より引用
「慣れ」てしまうと、どうしても一緒にいることが「当たり前」になり、かつてのトキメキや新鮮さが失われてしまうのですね。
お互い人間だから仕方のないことではあるのですが、そんな中でも関係を良好にする秘訣はないのでしょうか。
相手の存在を嫌にさせるのは「いつまでも一緒にいられる」という思い
相手の存在が嫌になったり、扱いがぞんざいになったりするのは、「相手が自分の元から離れていくことなんてないだろう」という思いからです。
しかし今の夫とは、これから先、永遠に一緒にいられるのでしょうか。
人の離合集散は不思議なもので、好きだからといってずっと一緒にいられるわけではないし、嫌いだからといってすぐに離れることもできません。
しかし一ついえることは、どんな人とも必ず「別れ」がやってきます。
仏教に「会者定離(えしゃじょうり)」という言葉があります。
「会った」者には、必ず「別れ」が来る。それは夫婦だけではなく、親子、友達、恩師…とすべての人にいえることです。
事故で突如、昨日まで一緒に過ごしていた人と永遠の別れが訪れる。呆然としたまま立ちすくむ人、泣き崩れて動けなくなっている人を、時折ニュースで見ます。
遅かれ早かれ、私達はすべての人と別れていかなければいけない。それがこの世の定めなのですね。
「限りがある」と思うから、相手を大切にできる
エッセイ『光に向かって123のこころのタネ』に、人間関係の大事な心がけが教えられています。
この世は皆、しばらくの縁である。
しばらくの間、夫であり妻であり、子供であり親なのだ。
そうと知れば、一瞬一瞬の縁を大切にせずにおれなくなる。
高森顕徹著(2014)『新装版 光に向かって123のこころのタネ』より引用
夫とも一緒にいられるのは、しばらくの間だけ。そう思うと急にしんみりした気持ちになります。
しかし、しばらくの縁だからこそ、一瞬一瞬の時間が大切になるのですね。
長くつきあったり、一緒に暮らせば暮らすほど、相手の存在が当たり前に思えてきます。
けれど実はそうではないのです。皆しばらくの間のご縁なのです。遅いか早いかの違いはあるものの、やがて必ず別れがやってきます。
「いて当たり前」と思うから、退屈になったり、相手に対してぞんざいになったりします。
生涯で二人が一緒に過ごせる時間は、あとどれだけなのでしょうか。
「限りがある」ということが分かれば、相手を自然と大切にできるはずです。
岡本一志著(2012)『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』より引用
ケンカして、小言を背中に受けて出ていったご主人が、もし帰らぬ人となったら、いくら後悔してもしきれませんね。
「会者定離」と似た意味の言葉に「一期一会」があります。
「一生に一度の出会いと心得て、お互いに誠意を尽くす」という意味で使われていますが、もう一つ、「『もしかしたら二度とは会えないかもしれない』という覚悟で人には接しなさい」という戒めの意味もあるそうです。
人間同士ですので、イヤなところが気になってケンカになってしまうこともどうしてもあります。しかしそんなときこそ「会者定離」「一期一会」「しばらくの縁」と思い出せば、寛容になり、謝罪や感謝の言葉も生まれるでしょう。
70億の人がいる中、夫婦となるには大変な縁があったことと思います。しかしその仲も今しばらくのこと。限られた時間の中で、一緒にいられる今の一瞬一瞬を、大切にしたいものです。
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いつまでも夫と、ずっと一緒にいられるわけではないですよね。
たしかにイヤだなって思うこともあるけど、孤独になったほうがよっぽどツライかな。
そう思ったら、何だか急にしんみりしちゃいました。今一緒にいられる時間を、大事にしていきたいと思います -
そうよね。いつまでも一緒にいられると思うから、相手を大事にしたり、気を遣ったりできないのよね。お互い、仲良くやっていきたいわね。そのためにも夫にも聞いてもらわないと(笑)
まとめ
- 私たちは慣れてしまう動物で、いつしか一緒にいることが「当たり前」になりがちです。しかし当たり前と思うと、相手の存在が嫌になったり、苦痛になったりしてしまいます
- この世は「会者定離」。いつまでも一緒にいられるわけではありません。限りがあると分かれば、一緒にいられる今の時間を、大切にできるのです。