なぜかうちの家族はケンカが絶えない…というご家庭も多いかもしれません。
夫婦といえど(むしろ夫婦だからこそ)意見が食い違い、ケンカになってしまうことはよくあること。子供のために我慢しようと思っても、ストレスがたまってイライラしてしまいますよね。
相性の問題と深刻に考えている人も多いと思います。
どうすればお互いの意見を尊重し、居心地の良い家庭を築けるのでしょうか。仏教からそのヒントを学んでみましょう。
(1万年堂ライフ編集部より)
登場人物
![]() 真理子
|
中2の娘と小4の息子を持つワーキングマザー。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」に参加しはじめる。 |
---|---|
![]() 智美
|
在宅でデザインの仕事をしている主婦。真理子から「仏教塾いろは」を紹介してもらった。 |
![]() 塾長
|
仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。 |
-
真理子さんって、ご主人とケンカしたりしますか?
-
急にどうしたの~?しょっちゅうするわよ~。でも、大体私が勝つけどね笑
-
そうなんですか。私も最近子育てのことで主人と意見が合わなくて…。子供のこととなると譲れなくて、ケンカになってしまうんです。
-
確かに、子供のこととなると譲れないよね。お互いが相手の意見を尊重できればいいんだけど、つい感情が先走って、私もケンカになってしまうのよね。
-
穏やかな家庭にしたいと思いながら、なかなか…。仏教では、そのことについてどのように教えられているのですかね?
ケンカの原因は「自分が正しい、相手は間違い」という心
-
ケンカをなくして、お互いにとって居心地の良い家庭を築くにはどうすればいいのか、仏教の観点からお話ししますね。
ケンカになるときは「自分が正しくて、間違っているのは相手。だから私の意見を聞かないあなたが悪い!」と、お互いがお互いを責めてしまいます。
しかしこれではイライラが募るばかりで、いつまでたっても前には進めませんね。
仏教では、「自分こそ正しい」という意地やプライドのことを「我慢」といわれます。
「我慢」と聞くと、今日は「忍耐する」という意味で使われていますが、元々は仏教由来の言葉であり、本来は「自分の意見こそ正しいと思い、どこどこまでもその考えを押し通す」という意味です。
たとえ自分が間違っていたと気づいても、「ごめんね。私が間違っていたね」のひと言が言えず、ケンカになってしまうのです。
2018年、裁判所が提示している最新の離婚原因ランキングによれば、第1位は男女ともダントツで、「性格の不一致」でした。
つまり、意見や考えが合わず、それが原因で離婚を余儀なくされている夫婦が多いとのことです。
しかし、そんな私の意地やプライドは、大切な人たちを失ってまで守らなければならないほど、大事なものなのでしょうか。
ほとんどの場合、後で振り返ると、「大したことのないことにこだわっていた」と後悔するものです。
大切な人を傷つけたり、失ったりするつらさに比べれば、そのときは嫌でも、一歩勇気を出して「ごめんね」「あなたの意見も分かるよ」と、歩みよりたいものですね。
「性格の不一致」は当たり前?仏教で教えられる“業界”
離婚の原因の第1位が「性格の不一致」といわれますが、そもそも「性格が一致する」ということがあるのでしょうか?
仏教では、「私達は1人ひとり、これまでの行いが生み出した世界に生きている」と教えられています。
行いのことは仏教で「業」といいますので、それで生み出された世界のことは「業界(ごうかい)」といわれるのです。
「人によって違った世界に住んでいる?そんなことがあるの?」と思われるかもしれませんが、実際に同じもの、同じことを聞いているはずなのにイメージしているものはまったく別物、ということはよくあると思います。
たとえば、「赤」と聞いて、皆さんは何を連想しますか?
「りんご」という人もあれば、「ポスト」を連想する人もあるでしょう。
中には「広島カープ」という人もあるように、同じ「赤」と聞いても、連想するものは1人1人異なります。それは、それぞれの業界が違うからです。
だから、同じものを見たり聞いたりしても、実際の感じ方や受け止め方は人それぞれまったく違っているのです。
夫婦といえども、別々の業界に生きていますから、性格が一致していないというのは当たり前なんですね。
なのに私達は、特に長年近くに一緒にいる人に対して「別に何か言わなくても、あの人は私のことを分かってくれて当然だ」と勘違いしがちです。
「幸せのタネをまくと幸せの花が咲く2」には、以下のように書かれています。
例えば、 同じ屋根の下で暮らしていても、子供は親に対して、「どうして自分のことを分かってくれないんだ。いつまでも子供扱いして」と不満に思っています。
親は親で、「どれだけ苦労して育てたか、あの子は少しも分かっていない。わがままばっかり言って」と思っています。
妻は、「毎日、家事や子供のこと、近所づきあいがどれだけ大変か。食事や家の片づけだって頑張っているのに夫は全く分かってくれない」と不満に思っているかもしれません。
夫は、「毎日、家族のために朝から晩まで働いているのに、少しもねぎらいの言葉がないし、感謝もしてくれない」と寂しく思っているかもしれません。
このように、同じ屋根の下で暮らしていても、自分のことを全然分かってくれないと、お互いが自分の世界の中で苦しんでいるのです。
(『幸せのタネをまくと幸せの花が咲く2』岡本一志著 より引用)
「相手は自分のことを分かってくれて当然」と思っていたら、分かってくれなかったときに猛然と腹が立ったり、悲しい気持ちになったりしますよね。
そして、「あの人とは性格が合わない」と、相手に対して心を閉ざしたり、イライラしてしまいがちです。
しかし、「本来は分かり合えないもの同士」と分かれば、意見の食い違いあってもそれは当たり前で仕方のないこと、と受け入れられると思います。
そして、分からないからこそ、相手のことを知ろう、自分の気持ちをしっかり伝えようという努力が生まれるのです。
「うちの主人は鈍感で、私の気持ちにまったく気づいてくれない」と思っている方も多いかもしれませんが、本来、お互いの気持ちは分からないものなのですね。
まず相手の意見を聞く。これも大事な「布施行」
では、そもそも性格は一致しない、意見に違いがあって当たり前と知ったうえで、相手とどう接すればいいのでしょうか?
まず相手の意見をよく聞くことが大切です。
仏教では、親切のことを「布施」といわれ、布施はすればするほど自分に幸せが返ってくる、と教えられています。
その布施の中に、「床座施(しょうざせ)」というものがあります。
「床座施」とは、「場所や席を譲り合う親切」のことで、電車で年配の方に席を譲ることなどが分かりやすいですが、自分の意見を主張したい気持ちをグッと抑え、まず相手の話をよく聞くことも「床座施」なのです。
私たちには、「自分の意見や気持ちを分かってもらいたい」という強い欲求があるので、聞き手に回っているつもりでも、「でも、こうじゃない」「だけど、こういう場合もあるでしょう」と、ついつい相手の意見を否定してしまいがちです。
しかし、このように否定する相手に自分の本音を伝えようとはならないですね。。
まず否定したい気持ちをおさえて、相手の話をよく聞く。
そうすれば、相手は自分のことを分かってもらえたと安心し、こちらの話に自然と耳を傾けるようになってくれるはずです。
お互いがまず相手の話を聞くことに徹していけば、相手の心も知らされ、よりよい方向に話が進んでいきますよね。
少しずつでも、実践していきたいものです。
-
本当にその通りだと思いました。今まで、自分の意見ばかり押しつけてしまっていたからケンカになってしまったんですね。反省です。
-
私の意見が絶対正しいわけではないし、主人の話もよく聞いていきたいと思ったわ。私も反省して、心がけたいと思います。
まとめ
- ケンカのもとは、「自分が正しい。間違っているのは相手」という心からです。この意地やプライドが邪魔して謝罪ができず、ときには大切な人をも失ってしまうこともあります
- 私達は一人ひとり異なる世界(業界)に生きています。だから、価値観や考え方が異なるのは当然であり、本来相手のことは分からないものです。分からないと知るからこそ、相手の気持ちをしっかり聞こうという思いになれます
- まず相手の話をよく聞くこと。そうすれば、相手も心を開いてこちらの話も聞いてくれるようになるでしょう