YOU WERE BORN FOR A REASON(ジャパンタイムズ)
【YOU WERE BORN FOR A REASON, ジャパンタイムズ, 生きる意味を問う】
2009年02月15日 | コメントは受け付けていません。
その目的から見た生きる意味
"YOU WERE BORN FOR A REASON: The Real Purpose of Life"
高森顕徹・明橋大二・伊藤健太郎著
Written by Stephen Mansfield
宗教について理性的に考えようとすると2通りの考え方がある。信仰はおおよそ誤魔化しであるという考え方と、奇跡や憶説を否定しながらも、預言者、聖人、その他の聖なる存在の言葉に、比べようのない価値のある真実の核心を見いだす考え方である。
死後があると信じる人は、天国に行くための唯一の方法は信心であると考える。したがって教義の伝達は宗教的使命の基本となる。
3人の著者によって書かれたこの本は、我々には、容易には見つけることができないが、しかし生まれた時から死ぬ時までを通して尊い目標があると強く主張する。
その目標とは、親鸞によれば、「苦悩の根元を破り、"よくぞこの世に生まれたものぞ"の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである」。
浄土真宗の創始者であり、12世紀に生まれた親鸞は、生きる意味を見いだせない悲劇は無明の闇によって引き起こされると教えたという。もちろん、我々は宇宙の中のちっぽけな存在ではないという親鸞の教えは、現代社会に生きる私たちにとっては簡単には信じることができないかも知れない。
親鸞の考えが、魅力ある話しや譬えを用い紹介されており、それが最も優れた宗教作品にはよく見られるように、ほとんど人間業とは思えないほど文学的な香りの高い文章によって著されている。
親鸞の偉大な著書「教行信証」から以下の簡潔な対句を引用する。
「生死輪転の家に還来することは 決するに、疑情をもって所止となす。」
この2行は、科学と信仰の違いを示している。前者は、私たちに全てのものごとに疑問を持ち、疑うように教え、後者は、聖典を疑いなく信じることを教える。私たちの世界はこのように大きく2つに分かれている。では、無神論者と、信仰に生きる人のどちらが深く迷っているといえるのか。これこそが人間にとって重要な問題といえるだろう。
私たちの人生の終わりに、深い満足や安心を得ることができずに我々は最後に死の腕に抱かれると著者は厳しく警告する。("having found no deep-seated satisfaction or peace of mind," "we fall at last into the arms of death")
反論できないほど明確な生きる意味 ("clear and compelling reason to live")とは、決して簡単な課題ではない。多くの人は、実現可能な目先の目標に不承不承満足するものであるが、著者たちは、一時的な満足をもたらす目標と、決して変わらずに続く目的とを明確に区別する。親鸞の教えがこの区別に基づいているからこそ、我々に率直に訴えてくるのだと彼らと主張するのである。単調な日常から離れて、変わらない満足を体験するためには、明確な目的と方角を知り、かつ力強く最後まで求めなければならない。("direction and purpose can stay the course with vigor.")
著者は、仏教の書物だけではなく、ニーチェやリルケ、セネカ、トルストイ、ヴィクトール・フランクル、そして小説家ジョン・ディディオン、さらには映画アバウト・シュミットでジャックニコルソンが演じた役のセリフなど、自説を裏付ける根拠を広く紹介している。また、書中には、コネティカット州で起きた衝撃的な事件からイギリスのホームレス殺人まで、社会的犯罪にも触れられている。
さらに著者が、日本の異常に高い自殺率や神戸の首切り事件、子供に刺し殺されたり、殴り殺されたりする両親、地下鉄サリン事件等、現代日本の不快な事実に触れることに躊躇してないことに対しては敬意を表する。著者は、社会的な混乱、脅迫心理や中毒等の問題に客観的ではあるが、同情的な視線を注いでいる。
懐疑論者は、我々の世界は、戦争や、民族浄化等の悲劇から疫病や死が蔓延するような意味のないものであると主張する。このような現実に対する恐れによって、私たちは、物質的な気晴らしや、ある目的に向かって突き進むことにとらわれてしまう。
しかし、著者はより希望的な見解をもっている。人生の悲劇や落胆は人生の意味を知ることができない暗い心から生じているという彼らの主張は、言外に、悲劇の元である私たちの無明の闇を解決することができるという意味を含んでいるのだ。
宗教的な信念は、しばしば慰めようのない困難な世界で孤立する我々にとっての慰めであると思われることがある。しかし、この本は、信仰は決して私たちを快適に過ごさせるものだけではなく、偉大な歓喜を呼び起こすものであると主張する。
この作品は、我々に親鸞の厳しい印象を残すだけでなく、「天地に踊る」喜びがあることを伝える伝道者であったことをも伝える。
※ジャパンタイムズに掲載された英文を、1万年堂出版で日本語訳しました。
原文をご覧になりたい方は、こちらへどうぞ
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