■はじめに
一ページをぬりつぶす、印相の広告が、しばしば大新聞に掲載される。
あれだけの広告料を計算すると、目がまわる。
それでも採算にのるのだから、印相が吉、凶、禍、福につながる、と信じている人がいかに多いか、がわかる。
手相、家相、墓相、日の善悪などが、やかましく言われるのも、みんな幸、不幸と関係がある、と信じているからであろう。
それほどに現世利益の信心は、生活に深く根をはっている。
仏法はしかし、これら一切を一刀両断に、迷信とする。
そして真の幸福は、印相などから生まれるものでなく、日常生活の善根から生ずる、と教える。
善因善果、悪因悪果、自因自果、カボチャの種からナスビの芽が出た、ためしがない。まいたタネしか、生えてはこないのだ。
むろん結果は、ただちに現れるものもあれば、数十年後、さらには、来世に結ぶものもある。遅速はあっても、いつかは必ず、果報を受ける。
歴然として私がない、この因果の大道理を深信し日々精進する、これが仏法者であり、親鸞学徒である。