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カズオ

『なぜ生きる』を読んで

野口愛さん(18歳)宮城県

「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」――太宰治の『人間失格』の冒頭部分である。『なぜ生きる』に出会うまで、まさに自分の人生観も太宰と同じだと感じ、どこにも答えの書かれていない「人間の生活」を追い求めていました。
 わたしはこれまで、「今」を精一杯生きようとしてきました。しかし一生懸命になればなるほど、失敗ばかり、恥だらけの毎日。頑張っていればいつかは幸せがやってくる。そう信じてつらいことにも耐えてきました。でも、幸せって一体、何なのだろう。
 そんな毎日の中で、『なぜ生きる』に出会ったのです。一部3章には「『辛抱して生きつづけること』それが人生の目的なのか?」とあり、それは自分自身の目の前に突きつけられた問題そのものでした。
辛抱して、頑張って、手に入れた名誉も勝利の喜びも、その充実感が1ヶ月と続いたことがあったでしょうか。私は高校時代、将棋に打ち込み、実績を残すことに少なからず幸せを感じていました。受験時代も勉強より将棋を優先させ、高校最後の全国大会でベスト5が最低目標でした。
 結果は目標の5位。しかし敗北を認識した時、私は泣いていた……。目標達成の喜びや安心よりも、「まだまだだった」「終わってしまった」の悔しさばかり。精一杯だったはずのそれまでの日々も、もはや納得できるものではありませんでした。それでも、「大学に入ったら、もっとしっかり将棋を学んで、今度こそ後悔のないようにしよう」という思いで、受験を乗り越え、晴れて大学生活が始まったのでした。
 そしてまもなく、『なぜ生きる』に出会いました。「『人生の目的』は、『色あせること』も『薄れること』もないもの」という題で、一部7章に、こう書かれていました。
「目的に到達した満足感は一時的で、やがて単なる記憶に変色します。
 それに対して『人生の目的』成就の満足は、『色あせること』も、『薄れること』もないところが、全く違うところです。(中略)達成すれば終わってしまう、そんな『目標』だけを追い続ける一生は、どんな人生になるでしょう。目標にたどり着けば『自分は達成した』という一時的満足はあっても、時間とともに薄れ、またスタート地点に逆戻り。『今度こそ……』と、さらなる労苦がはじまります。一点の周りをグルグル回るのみで、『人間に生まれてよかった』という、生命の歓喜は永久にありません。こんな悲劇があるでしょうか」
 この悲劇のただ中にいるのが、わたしでありました。ぼんやりと気づいてはいたけれど、なにかに夢中になっていなければ、放心と自己嫌悪から抜け出せなかった。ただそれは、「人間の生活」を求めても求まらぬ現実から、目をそむけてきただけだったのでしょう。そのこともまた、『なぜ生きる』のなかに「『死んだらどうなるか』何かでごまかさなくては生きていけない不安だ」という形で示されています。
「人間の生活」とは、人生の目的がハッキリとわかり、その目的に向かって進んでいくことなのだと見当つきました。
そして、人生の目的は「死んだらどうなるか」わからぬ心を打ち破り、「人間に生まれてきてよかった」と大安心・大満足の身になることだと知ったのです。生きる目的がハッキリしたから、勉強もバイトも、健康管理もこのためであり、目的達成まで苦しくても生きていこうと思えるのです。あらためて、「今」を精一杯生きようと思えるのです。
 その深奥は、とても私の稚拙な文章では表しきれないので、ぜひ、多くの人に『なぜ生きる』を読んでもらいたいと思います。