現在、国内外において、これほど人の心が荒んでいた時代が過去にあったでしょうか。戦中、戦後はさておき、衣食住には不自由することなく、娯楽においても満喫でき、いまや求めるものは容易に手に入ります。それでいても人々の心は荒んでいます。
幼児をビルの屋上から、ものを落とすごとく突き落とし、希望の光につつまれた小学生を刺殺する残虐な行為、ナイフを持ってバスをハイジャックする少年、女子高生を拉致し傷をおわせる青年、定年も近い大人の金銭横領事件等々。毎日の新聞の紙面に必ず載るニュースです。
私はこうした暗い記事を目にするたびに、人間の尊厳について考えさせられます。
この世に生を受けてから、その生涯を閉じる時間まで、真っ直ぐに他人様にまた社会生活において、汚点を残さずに真っ白なまま終えることは困難なことと思います。しかし、今の世の中を思うと真実悲しくなります。
そんな時、茶の間の本箱に3年前に求めた『光に向かって100の花束』の本が目に止まりました。一度読んでそのまま、本箱にしまっていたのですね。取り出して頁を操ると、今日の荒んだ人々の心の問題を解くすばらしい花束が咲きほこっているではありませんか。1束から100束まで。この100束の心が欠けていたように感じられました。
「うるわしき母子」の自らの痛みから他の者を思いやる心。子供を育てる親が痛みの心を我が子に伝える。この温かい愛情が現在欠けているように思えてならないのです。
「なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることによって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた」
私はこれこそが、今日荒んだ青少年達に一番心の奥に置きとどめてもらいたいと思うのです。
子供はどの親にとっても、また社会におきましても宝です。一家庭の子供が荒んだ心で世の中を歩き始めれば、次々と同じような子供が増えないとは言えません。格別見上げるような人間にならなくとも、心の広い、人を思いやる温かく、痛みのわかる人に育って欲しいのです。
「100の花束」の1束から100束まで、どれも心に残る教えです。
私等は凡人ゆえ、文字を目で追っている時は、なるほどなるほどとうなずいていますが、次の頁を操ると前の頁のことは忘れてしまいます。
65歳になって、過去に積もった心の垢がきれいに洗い流されるような清々しい気持ちになりました。
この本が、若い人達、それも小学生、中学生の方々に読んでいただくと、荒んだ若者達を目にしている者として、この上なく幸福です。