昨年秋、私のもとに、一通の手紙が届きました。『輝ける子』の読者からでした。
手紙は匿名で、ワープロでびっしり、約十枚にわたって書かれていました。
差出人は、おそらく十代の少年、要旨は、次のようなものでした。
「『輝ける子』を読んだ。世の中に、自分みたいな人間のことも、
分かってくれる人があるんだ、と知り、とても勇気づけられる気がした。
でも、その後、毎日生活していると、やはり自分をとりまく現実はちっとも変わらない。
親は、相変わらず、ガミガミと傷つけることばかり言ってくるし、
学校ではひどいいじめを受け続けている。先生からは頭ごなしに叱られる。
だから、現実には、この本に書いてあるようなことはないんだ。
だから、『輝ける子』なんてウソだ。タイトルを変えてほしい。
『砕け散る子』に」
そして、手紙の最後には、「輝」という字が、光と軍に、真っ二つに切断され、
さらに、それが、ツ、ハ、ワ、車に、砕かれた文字が、ワープロで綴られていました。
これを見た時、私は胸が痛みました。
表面的には、私の本への攻撃、という形をとっていますが、
実は、この少年の気持ちは、
「自分は、もう輝くことなどありえない、
あと残されているのは、華々しく砕け散ることだけだ」
ということだからです。「輝ける子」という文字を切断する行為というのは、
一種の自傷行為だと、思わずにおれませんでした。
そして、このような絶望感、無力感、自己評価の低さは、今日、引きこもる子どもや、
あるいは非行や犯罪に走る子どもと、全く軌を一にしています。
この少年が言うとおり、今も、世の中では、子どもの自殺が続き、
少年事件がマスコミを騒がせています。
では、われわれは、現代の子どものために、何ができるのか。学校や社会は、どうあるべきなのか。
それについて、この小著では考えてみたいと思います。
明橋大二