一ページをぬりつぶす、印相の広告が、しばしば大新聞に掲載される。
あれだけの広告料を計算すると、目がまわる。
それでも採算にのるのだから、印相が吉、凶、禍、福につながる、と信じている人がいかに多いか、がわかる。
手相、家相、墓相、日の善悪などが、やかましく言われるのも、みんな幸、不幸と関係がある、と信じているからであろう。
それほどに現世利益の信心は、生活に深く根をはっている。
仏法はしかし、これら一切を一刀両断に、迷信とする。
そして真の幸福は、印相などから生まれるものでなく、日常生活の善根から生ずる、と教える。
善因善果、悪因悪果、自因自果、カボチャの種からナスビの芽が出た、ためしがない。まいたタネしか、生えてはこないのだ。
むろん結果は、ただちに現れるものもあれば、数十年後、さらには、来世に結ぶものもある。遅速はあっても、いつかは必ず、果報を受ける。
歴然として私がない、この因果の大道理を深信し日々精進する、これが仏法者であり、親鸞学徒である。
現代人に欠けているものの一つに、努力精進があげられる。
水が低きにつくように、易きにつこうとする。結果だけをめあてに、一攫千金をユメ見る。
エサをくれる人には、ちぎれるほど尾をふるが、くれぬやつには吠えてかみつく。
人間生活もどうやら、畜生化してきたようだ。
高校や大学が林立していても、知育偏重で、徳育が忘れられているからではなかろうか。
高僧に、ある婦人が、子供の教育をたずねると、
「もう、遅いですね」
「まだ、生まれたばかりですが」
「その子供を、本当に教育しようと思えば、あなたのお母さんから始めねば」
といわれて、驚いたという。
"いくたびも、手間のかかりし、菊の花"
一輪の花が、美しく芳香を放っているのも、一朝一夕ではないのである。
いわんや子宝を、立派な人格者に育成するには、なみたいていの辛苦ではない。
学校教育も、もちろん大切だが、なんといっても、人間形成は家庭教育、とりわけ親の心構えにある。
親の一挙手、一投足で、子供はどうにでもなる、と言えよう。
"ゆりかごを動かす母の手は、やがて国を動かす"
イギリスの古い格言である。
子供を産むだけでは、下等動物と、なんらえらぶところがない。
因果の理法を知らず、放縦邪悪の行為をすれば、この世から、恨み、呪いの苦患を受けねばならぬ。
それは、自身の破滅のみならず、子供をも悲境に追いやることになる。
針が正しく進まねば、糸は正しく縫えるはずがないのだから、親は、姿にかけた教育を、心がけねばならない。
"百以上の、おとぎ話や有益な話を知らなければ、親の資格がない"と、ある教育者は道破する。
おもしろい話の中に、小さい魂に奮発心を喚起させ、不屈の精神を培い、遊惰安逸の妄念を除去して、金剛石を、宝玉に磨きあげるのである。
光に向かって進むものは栄え、闇に向いて走るものは滅ぶ。
有縁の方と、光に向かって、少しでも進みたいと、この小著は努力した。
ご笑覧のうえ、ご利用いただけるものがあれば幸甚である。
合掌
平成十二年十月一日
高森顕徹